昭和元禄落語心中見た。親子会の開催。助六は覚悟を決めて背中の彫り物を完成させる。自分の落語はないと彼は言うけども、こういう覚悟を決めることこそ彼自身のアイデンティティの確立であるし、居残り佐平次になりたいという憑依的なもののを目指すことが彼の落語であるのでしょう。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2017年2月4日
そういうある意味光の部分が助六ならば、影の部分が八雲ということで、親子会の高座で倒れてしまう。折しも演目が反魂香、死んだ女と出会いたいという内容で、みよ吉が出て来るのだからやはり因縁を感じてしまう。夢か現か現れた先代助六、寿命を示すような蝋燭の灯りが気にかかる。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2017年2月4日
この煙の演出がたまらなく良くて、実際に演目で使うものだけどその煙の流れがどうにも不安を煽る画面にしている面白さ。形がない煙だからこそ不安定な気持ちにもなるのでしょうね。さて八雲が倒れてしまって親子会も中止になるだろうけど果たしてどうなるのやら。次回も楽しみです。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2017年2月4日