グリッドマン最終回見た。現実と空想とはあくまでも別々の次元にあるもので峻別されるべきもの。それが大人の流儀。でもそうじゃない。現実と空想は共にあってもおかしくないのだ。コンピュータワールドはアカネの造り物だし、この作品の設定そのものも全ては空想である。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2018年12月22日
しかし、その空想と、実際に今自分が生活をしている現実と、境目は本当にあるのか。アニメと特撮と現実とが綯い交ぜになっているということは、今作がメタ的構造を持っているということ。誰もがアカネにもなれるし、グリッドマンにもなれる。子供の頃に持っていた現実と空想の融合性。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2018年12月22日
ああだから物語は面白い。最後の実写の意味こそ現実との地続きであることの証左だと思うのです。アカネがいなくなっても裕太たちの世界は続くのもまた並行世界感があって、もしかしたら自分もあの中にいるのかもしれないとも。自分がコンピュータワールドの住人になっていけない理由が何処にあるのか!
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2018年12月22日
そんなことを連々と思った最終回でした。勿論単純に今回を見ただけでも充分に満足感はあったのですが。特撮世界のグリッドマンがアニメとなって登場したり、同時に夢のヒーローが流れたり。これこそ元ネタがあるからこそのカタルシス。その後にちゃんとアニメのOPも流すお約束も見事。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2018年12月22日
やはり分かってる人達がやるべきことをしっかりとやってくれることは嬉しいのです。そこにもアニメを見続ける意味があるというもの。いや、今作はそういうアニメとか特撮とか、そういう狭い枠で捉えるのは違うのかもしれません。上質のエンターテイメントと言うべきか。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2018年12月22日
色々と纏まらない部分もあったりはするのですが、今はただ今作を見られた多幸感に浸らせてください。とても楽しい1クールでした。スタッフの皆様、本当にお疲れ様でした!ありがとうございました!!
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2018年12月22日