コンレボ最終回見た。超人を憧れる気持ちは子供めいたものなのかもしれない。でもその気持ちを全て消そうとするのは傲慢でもあり、ままならない現実があるからこそ正義を仮託する存在であるところの超人は必要なのでしょう。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2016年6月19日
里見が超人を悪とメディア・コントロールして喧伝しても、結局人々は超人に回帰する。それは純粋な憧れを超人が持っているから。それ故に最後に爾朗が超人であると自覚したことの重要性が見て取れるし、カタルシスなのでした。また創作物への肯定の物語でもあり、創り手の矜持も垣間見るものでした。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2016年6月19日
もっとも里見についての設定がちょっと説明的であり、彼の正体がよく分からないものではあったのが勿体無いところではありましたが。展開もジェットコースター的でこの話だけで2話分ぐらい見たかったかな、とは思います。しかしいい日旅立ちをこのタイミングで使う凄さ。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2016年6月19日
多分早川少年の成長した姿だと思うけど、彼が風郎太を見たことも重要で、それは風郎太の存在が見られない世界において彼を見たということは、お化けという超常のものに対する肯定があるからに他ならない。人々の中に超人への憧れがあることの証左ということで説得力のある映像でした。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2016年6月19日
アクションも最終回だからかなり決まった映像になっていて、特に爾朗対里見のシーンは荒々しくも力強い映像になっていて満足。こういうシーンが見られるからアニメを見ていると言っても過言じゃないです。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2016年6月19日
全体を通してですが、創作物であるアニメだからこそ出来る現実世界へのアプローチが極めて強い作品でありました。大前提からして虚構なんだけども、その虚構を肉付けする世界観の構築は見事で、それ故に合わせ鏡として成立したと言えるでしょう。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2016年6月19日
その中で爾朗が抱える苦悩や葛藤といったものがマクロ的にもミクロ的にも描かれた物語でありました。ある種爾朗が地球を見守るとした結末は、彼にとっての解脱であったのかもしれません。その分残された輝子がちょっとだけ悲しくも見えるのですけどね。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2016年6月19日
要所要所で會川昇さん以外の脚本家を起用したのも良くて、特に辻真先先生が執筆された回は含蓄があり、SF的にも興味深いものでした。特に不死の家族に纏わる話は素晴らしかったです。また作画も基本的には良くて、アクションも特に中村豊さんの担当パートが印象的でありました。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2016年6月19日
もしかすると創り手の自己肯定の物語だったのかもしれないけども、それでもアニメって良いぞ、特撮って良いぞ、という想いをストレートに描いた作品ではあったと思います。取り敢えずは物語を完結させたスタッフの皆様、本当にお疲れ様でした。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2016年6月19日