Twitterの自分の日本語が怪しい部分もありますが貼ってみます。
最弱無敗の神装機竜を見ていると方程式のようなものを感じてとても落ち着く…
— 松澤千晶 (@chiakinman) 2016, 1月 19
物語にはある一定の方程式があったりするのは確かで、例えば貴種流離譚なんかはそうなんだけど、こういう風にラノベ的な方程式というかテンプレを肯定的に捉えるという考え方があるというのには驚いた。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2016, 1月 19
それでもやはりラノベ的テンプレに対して拒否感がどうしてもあるのは、その物語の取っ掛かりの違和感があるから、だと思う。必ず女性へのアプローチがラッキースケベで、その行為の怒りからの対決、そして何故か女性キャラが主人公に惚れる。この展開の違和感の正体は御都合主義なんだろう。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2016, 1月 19
更に言えばその御都合主義の正体というのはステロタイプのキャラクターの出会いについて、そうあるべし、としてしまうことで、出会った後の遣り取りをやりたいということ。イチャイチャラブコメなんですな、そこに味付けとして世界を救うだの悪を倒すだのそういう要素を足せば良い。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2016, 1月 19
その奥底にあるのは結局は現実逃避としての物語でしかないということなんだろう。ぬるま湯と言って良いのかもしれない。だからこそオレツエーなのは物語的必然になるわけです。そういう現実に対する逃避を必要とする一定層がいるからこそテンプレ作品が作られるんだろう。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2016, 1月 19
そして自分がそういうテンプレ的な作品が嫌いなのは、現実逃避しても何も解決しないし、何より最初から逃げている物語にはワクワク感を持てないからだと思う。そんなことを考えてみたのでした。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2016, 1月 19