さらざんまい見た。やはり一稀と春河には血の繋がりがなかった。でも何故そこまで春河のために行動するのか、と思ったら視点が真逆で、自分のせいで歩けなくなった春河への懺悔でしかなかった。懺悔とは神への己の罪の告白である。即ちそこに他者が介在する余地はないのだ。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2019年5月11日
事故は偶発的なもので一稀を責める者はいない。しかしそれ故に彼にとっての「救い」もまたないのである。被害者が加害者を責めるという構図は外罰的であるからこそ、そこにだけ謝れば済むこと。でも許されてしまっては、その自分の犯した罪はどう洗い流せば良いのか。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2019年5月11日
神は死んだとニーチェは言ったが、一稀にとっても神はいないから、結局自身の過去を許せなくて、春河に嘘をつき続けてしまって結果今回サラの偽者だったとバレてしまう。ここで春河から突き放されるとある意味では一稀は救われるのだけど、嘘をついたこと自体のバツの悪さがあるからそうもいかない。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2019年5月11日
でも結局は許されるにしても、許されないにしても、それは一稀の気持ち次第、いや欲望次第でどうにでもなったりするもの。欲望と欲望がぶつかり合った結果として、今回一稀が負けたというのは欲望への後ろめたさも感じた次第。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2019年5月11日
前半がサラの脱出劇含めてギャグ強めだっただけに、後半のシリアス展開が際立つものになりました。こういうギャップの作り方も、また今回の作劇も含めて幾原邦彦さんの凄さを見るのでした。河童のままでも良いとする一稀だけど、次回どうなる?
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2019年5月11日