さらざんまい最終回見た。月並みだけど、人間は一人では生きられない、ということなのでしょう。国家間、世代間、人種間、宗教間といったマクロ的な意味でも、はたまた親子間、夫婦間、友達間といったミクロ的な意味でも、何かしらの繋がりがあるし、何かしらの対立がある。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2019年6月21日
特に昨今の状況は対立からの断絶といったものを感じるのですのが、そういう時代だからこそ、繋がりを持つ大切さを描いたのが今作なのではないかと思うのです。人間は天の邪鬼なものでもありますから、繋がりたいのに逆の行動を取ってしまうこともあります。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2019年6月21日
好きな子だからこそ困らせるようなちょっかいをしてしまう。その線引きも難しいから何とも言えない部分もありますが、単純に拒絶をするということではなくて、何かしら別の意図もあるのではないか。一度立ち止まって寄り添ってみることも必要なのではないか。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2019年6月21日
もしかしたらそれが優しさということなのかもしれないし、そこから人と人との繋がりも生まれるのかもしれません。だからこそ、悠が少年院から出所した後に一緒に隅田川に飛び込んだ一稀と燕太に、無限大の優しさみたいなものを感じたのでした。なるほど繋がり合いとはこういうことだ。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2019年6月21日
今回の話自体は突飛なものではあったけども、その突飛さ故に人間を戯画化して描くことも出来るのでしょう。その塩梅が幾原監督作品の魅力でもあるのです。河童と獺の対決という意味では霞んだ感もありますが、オーラスの青春感で全て受け入れられました。そう、良いものを見た。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2019年6月21日
長くなりましたが、やっぱり幾原監督作品は好きなんだと改めて。アニメにしか出来ないことがある、ということを描いてくれるからなんですけどね。取り敢えずはスタッフの皆様、本当にお疲れ様でした!
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2019年6月21日