プリキュア見た。何も持っていないはななのは変わってはいない。しかし彼女は母親だったり友達だったり愛情を受けている訳であり、それは何かしらの代価ではなく無償のもの。生きていることそれだけで素晴らしい。親の愛という感情を換言すれば応援することでもあるのかもしれません。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2018年4月15日
だからいつも応援されているならば、自分も応援をしたいと思うのも納得であるし、そこにはなの素直さを見ました。他人と比較することよりも、自分が何をしたいのか。単純な話だけどそれ故に改めて描く必要性。こんなはなの現状とチャラリートが同じ立場になっていることが面白い。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2018年4月15日
悪者は剣で叩き斬る、というのは勧善懲悪で分かりやすい。しかし何も持っていないチャラリートとはなも本質的には同じだから、彼を救いたいと思うのも頷ける。人は何にでもなれると今作は言うけども、それは悪にもなれるという意味でもある訳です。でもそういう人だって生まれた時は赤ちゃんだった。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2018年4月15日
はぐたんを育てる意味、悪は悪としてその心を改心させる意味、全ては今作が母性に包まれていることに結実するのかもしれません。ここに俗に言えば「バブみ」という感情が生まれる素地があるのでしょう。吹奏楽のネタがあるからこそのメロディーソードという伏線も良かったです。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2018年4月15日
チャラリートはブラック企業に勤めてこういうことになった、という設定を考えると、もしかしたら現代日本の病理を戯画化して見せて、それに対する希望を描いていると言えるのかもしれません。現実はクソゲーだけど誰にも応援し、応援される心はあるのです。プリキュアは人類の希望とはそういうこと。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2018年4月15日
そんなことをツラツラと思った今回でした。でもはなだって子供達を物理的に守るんだから、やっぱりはなだからこそって思いますよ。ああいう行動力があるんだから。とまれ玩具販促回だけど見事な作劇でした。次回はサトジュン担当回かな?楽しみ。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2018年4月15日