デレマスU149見た。大人と子供の違いとは何か。それは単なるカテゴライズでしかなく、等しく感情を持つ人間同士。寂しい時は寂しいし、嬉しい時は嬉しい。大人になれ、とか子供っぽいとかそういうのは当てはめられた型だ。人間はそのタイミングで発現する感情が違って当たり前。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2023年6月25日
今回は第1話の続きである、ありすの気持ちの決着が描かれる訳だけど、想像通り親は彼女に甘えていたし、ありすは親に甘えられなかった。それを解消するためにはやはり面と向かって話し合わないといけない。コミュニケーションは重要だけど、メッセージアプリでは一方的なものになりがち。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2023年6月25日
子供なのに大人になろうとするありす、大人なのに子供っぽいプロデューサー。この関係があるからこそ、お互いを通して大人も子供も本質的には変わりがないのだ。U149という名前は確かに違和感があるもの、特殊性癖向けやないか、という点で。しかしそれは単なる現状であるだけ。未来の異名でもある。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2023年6月25日
今回はありすの心情に寄り添う演出が劇的で堪らない。孤独のありすを描くin fact。金魚鉢に入れられた彼女が波に翻弄され、入れられるべき金魚は自由に泳ぐ。彼女の閉塞感を的確に表した演出。冷たいビルのインサートも含めて孤独さを切なさが伴う楽曲で表現する総合芸術だ。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2023年6月25日
そして歩道橋のラストシーン。第1話では同じ階段演出を使ったが、その時は下手から上手へ降りるもので不安感があったものだが、今回は下手から上手へ上るもの。彼女立ち位置が上手になり、下手のプロデューサーを見下ろす。U149の他のアイドル含め、彼を引っ張っていく演出となっている。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2023年6月25日
他にも、鏡に映るありすは子供と自覚させるようなもので見たくないもの、ということだったり、前に進み出す一歩だったり、ビール、背広と大人を意識付けさせるものだったり、ともかくコンテと演出が極まっている。小林敦さんの会心の出来だったのではないでしょうか。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2023年6月25日
時々アニメを見ててガツンと殴られるような衝撃を受けることがあるのですが、今回はまさにそういう回。いやはや凄いものを見ました。ありすの話が終わって物語としては一段落だけど、次回エピローグ的なデビューライブかな?どういうラストになるか楽しみ。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2023年6月25日
二度目見て追記。リボンという「子供」であることを示すガジェットに導かれるありす、という演出意図は、子供と大人は一つの繋がりとしてあるものだし、別々の立ち位置にないことを示す。また足元の演出が良い。不安も決意もこの足元の作画で示される。こういう部分の丁寧さもいい仕事でした。
— 名無しボウズ (@nanashibouzu) 2023年6月26日